こころの診療所 から

宝塚市大橋クリニックの院長ブログです

座禅で聞いた意外な話

もう随分と昔の話ですが、大学受験に失敗してから、合格するためになんでもやろうと、イメージトレーニングやらアルファー波の出る音楽やら色々試した時がありました。カセットテープに合格イメージを録音して聞いてみたり、今思うと面白いことしていたなと思います。その必死の取り組みの中に瞑想もありました。

その時から細々と、色々な瞑想方法の本を読んでは試してきました。精神科医となって、マインドフルネスという形で瞑想と再会し、医学的な効果も実証されているので、時々患者さんにも瞑想どうですか、とお勧めすることもあります。

当の自分はというと、劇的に何が変わるかというと、びっくりしたものはないですが、18歳のころから時々続けているということは、なにがしかの良さを感じているのでしょう。尊敬するビジネスマンバリバリの義兄も瞑想をしているということを知って、義兄がするならきっと良いだろうという影響もあるのだと思います。

そういえば、大学生の時にサークルのみんなで京都の妙心寺というところに1泊の座禅体験に行ったことを思い出しました。その時、偉いお坊さんが、座禅をしている時間というのはとても贅沢な時間だとおっしゃっていました。確かに、座禅・瞑想をしている時は、日常を忘れて呼吸にとどまる時間で、これがあのお坊さんのおっしゃっていたことかなと思います。

さて、そんなわけで最近はたまに座禅を組みにお寺に行くことがあります。先日そこで聞いた話が少し意外だったのでご紹介します。

紹介された言葉は「大信根(だいしんこん)、大憤志(だいふんし)、大疑団(だいぎだん)」です。禅の修行で大事な3つのことで、最初の大信根というのは、とにかく教えを信じることということですが、若い人に向けて自分の道を信じることというニュアンスで話されていました。これは宗教でよくある、信じること、ですよね。

あとの2つが意外でした。大憤志はなにくそ!と思って頑張ること、大疑団は、常に疑うこと、これで自分はいいのだろうか、と疑うことです。仏教といえば、悟りの境地で、感情に揺るがされず、疑いから離れ、一心に悟りを目指すイメージがありました。でも、なにくそと思って疑って進めということなのです。本当は次元の違う説明があるのかもしれませんが、この2つの説明を聞いたときに、そうか、お坊さんでもそういう気持ちで進んでいるんだったら、僕らみたいに、日常を悩みながら、なにくそと進むのもいいんだなと、何となく安心しました。

日常を悩み、疑いながら、つらいと思ってもなにくそと思って進む。その先に、きっと何かが見えると信じていく。普通の日常なのかもしれませんが、これが大事なのかもしれませんね。