こころの診療所 から

宝塚市大橋クリニックの院長ブログです

能「八島」のおはなし

私は能が好きです。とはいえ、機会があれば見る程度。年に1回か数年に1回という感じです。感情を凝縮する巧みな工夫に取り込まれて、最後にはその演目から遠ざかって別れを告げる、その雰囲気が好きなのです。

能の内容といえば、幽霊が怨念や悲しみ、憎しみを語り、僧侶がそれを聞いて、最後は成仏する、というパターンが多いのですが、鼓や笛やその激しい感情をうちに秘めてじっと立っている演者の様子が好きなんですよね。

セリフはところどころしか意味が分からないのですが、進行の過程がカウンセリングにも似ている感じがするのも職業柄ひかれる理由かもしれません。

さて、それはさておき、「八島」のお話です。能を習っている知人の師匠が、「八島」という演目が好きとのこと。

「八島」というのは源平合戦義経を扱った話です。旅をするお坊さんが、八島で義経の幽霊に会い話を聞く、という簡単にいったらそんな話です。

その「八島」の演目を好きと言いながらその師匠は、世阿弥(この「八島」の作者)はこの作品に生きるということは修羅だと書いているんですよ。生きることは修羅ですよ。とおっしゃったとのこと。

この「八島」の終盤、義経の武勇が語られます。戦いの際に、持っていた弓が流されて沖のほうにいこうとするのを、義経がわざわざ敵の船の近くまで行ってとったという話です。「そんなことをしたら、殺されるのだから無茶はやめてください」と家臣は言うのですが、義経は自分の武名はまだまだで、弓を敵にとられようなどしたら無念だ、そんなことになってたまるかと取りに行ったと。それで殺されるならそれまでの運と。それで家臣は感動して泣く、という話が語られます。

ここで終わったら、義経のただの武勇伝ですなーということですが、「八島」は続きます。

義経の亡霊が修羅の世界でかつての敵と戦います。壇ノ浦の戦いが、またこの世にあらわれて、義経が必死の戦いを戦うのです。しかし、そのうち春の夜は明けていき、敵と見えていたのはカモメの群れ、鬨(とき)の声と聞こえていたのは海の風、朝の嵐となった、と終わり、義経の亡霊は舞い終わると消えていくのです。

その師匠は、この最後の場面が好きですねともおっしゃったということ。

武名を固持し、人に称賛されながらも(それだからこそ?)、生きることは修羅なのでしょう。義経の怨念が死しても残るほどの修羅。

しかしそれも幻。その夜の幻も日の出とともに消えてゆき、残るは八島の美しい風景。

 

知人からその話を聞いて読んでみた「八島」ですが、私も好きになりました。人生辛い時もありますが、義経の怨念が消えるように、肩の荷が下りる時が来るのでしょう。世阿弥は何歳ぐらいのときに書いたんでしょうかね。

一度、実際の「八島」の能も見たいものです。「八島」の最後の部分だけ抜粋します。

陸には波の盾

月に白むは

剣の光

潮に映るは

兜の星の影

水や空、空行くもまた雲の波の、撃ち合ひ刺し違ちごふる、船戦の駆け引き、浮き沈むとせしほどに、春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは群れ居る鷗(かもめ)、鬨(とき)の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける

それから、屋島香川県)、実際いったことがありますが、きれいでしたよ。物語を読んでから行くとなおのことしみじみするでしょう。

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