こころの診療所 から

宝塚市大橋クリニックの院長ブログです

藤井聡太さんの話 すごい方ですね

先日、藤井聡太さんが将棋で史上初の八冠達成されましたね。私自身は将棋が好きでも嫌いでもないという程度なのですが、今回の八冠はニュースに良く取り上げられていたので、藤井さんのエピソードを度々耳にするようになりました。

すると、それぞれ、すごいなあ、ということが多かったので、ご紹介しようと思います。

ところで、今回の八冠、どの程度すごいかというと、藤井さんの師匠(杉本昌隆さん)が番組で「100mを8秒台で走るようなものです」とおっしゃっていました。・・・ほぼ不可能ということですよね。いやーすごい。

エピソード一つ目:

タモリさんがかつての対談した時のことを思い出して寄稿したものです。

そんな藤井君が前人未到の8冠を達成した際、この先にどんな目標が?と聞かれて「面白い将棋を指すのが一番の目標」と答えた姿は印象的でした。というのも藤井君は対談した時、連勝記録中に負ける恐怖は?の質問に「むしろ感じなかったです。一手一手の積み重ねの結果として勝ち負けが表れるので」と答えていたんです。

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一手一手の積み重ねの結果として勝ち負けが”あらわれる”、とのこと。”あらわれる”という表現がすごいなと思いました。私なんかは、〇〇のために△△をする、のように目標を作って、そのために努力するということを繰り返してきたように思います。

しかし、藤井さんの場合は、目標を作るというよりは、目の前のことに没頭することこそ全て、というように聞こえます。その結果まわりに何かが現れてくる。

藤井さんの前では努力という言葉とも違うんでしょうね。努力というと、つらいけれどやるみたいなニュアンスがありますが、そういう感情も視野に入らないぐらいに、目の前のことに打ち込む、そのぐらいに好きになる、道を究める方はそういう方なんだろうなと思います。そういう風になるといいなあとわが身を振り返りました。

エピソード二つ目:

藤井さんの師匠の杉本さんがテレビでおっしゃっていたことですが、何かの時に「将棋の神様に一つお願いするとしたら?」というインタビューがあったそうです。その時に他の棋士はタイトルを取るとか、そういう回答が多かったらしいのですが、藤井さんは「一回手合わせお願いしたいと思います」という答えだったということです。

先ほどのエピソードの話と共通しますが、藤井さんの中では先の何かを得たいということではなくて、目の前の将棋に強くなりたいという、目の前のことが則目的なんでしょうね。外から付けられる何かではなくて、自分の中の大事なものを日々大事にして生きていく、そういうことかなと思いました。

 

目の前のことに打ち込む、好きになる、自分の大事なものを大事にする、そのためにどうしたらよいだろうか。・・・あ、また目的志向になってしまった。では、また次回に。

 

あ、そうそれから、今回の話題とは全く関係がないですが、うつ病になった棋士の手記もずっと前にご紹介しました。今思い出したので、貼り付けておきます。

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ムツゴロウさんのお話

先日「あの人に会いたい」というNHKの番組で、畑正憲(ムツゴロウさんと呼ばれていました)さんが出ていました。

さいころから、ムツゴロウの動物王国を見ていた私にとって、最近、畑さんが亡くなられたのは、とても悲しいことでした。祖母とよくテレビを見ていたものです。

中学生の頃かな、畑さんの本が読書感想文の課題になっていて読んだことも思い出します。アメフラシを食べた話とか、なにせ探求熱心な方だったのでしょうね。

さて、その番組の中で心に残った言葉があったのでご紹介します。動物と向き合う心構えについてお話された場面の言葉です。

 

とにかくね 時間軸が長いんだよ

とにかくね 10年とか20年とかそういう時間軸だよ

その間にね 相手がぴかっと光ったものを こっちにくれるのはね 何秒かだよ

それがね 人生なんだっていうね

その退屈さっていうか もう営々と生きているね

そのところの部分が 一番大切なものじゃないですかね

 

畑さんは動物を相手にしたときの心構えとしておっしゃっていましたが、動物に限らず、仕事なり、自分の人生になりに通じるようなことのように思いました。

私なんかは、家を出て、職場について、仕事をして、家に帰って寝る、という繰り返しの生活をしています。内容は色々な変化はありますが、基本的には繰り返しです。多くの方もそうなのではないでしょうか?

繰り返していると、閉塞感というか、生活の意味や価値を見失いそうになることもあります。でも、その中でもたまに良いことがある。心が明るくなることもある。

それは恐らく、その繰り返しをコツコツと生きているからなんじゃないか、それが大事なんじゃないか、ということを畑さんの言葉から感じました。

以前、千日回峰行をした酒井雄哉さんの本もご紹介しました。千日回峰行は、毎日毎日苦行を千日繰り返します。酒井さんは、その日その日を生きることの大切さを書かれていました。繰り返しを生きること。シンプルですが、それが何かを教えてくれるのだと思います。 

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能「八島」のおはなし

私は能が好きです。とはいえ、機会があれば見る程度。年に1回か数年に1回という感じです。感情を凝縮する巧みな工夫に取り込まれて、最後にはその演目から遠ざかって別れを告げる、その雰囲気が好きなのです。

能の内容といえば、幽霊が怨念や悲しみ、憎しみを語り、僧侶がそれを聞いて、最後は成仏する、というパターンが多いのですが、鼓や笛やその激しい感情をうちに秘めてじっと立っている演者の様子が好きなんですよね。

セリフはところどころしか意味が分からないのですが、進行の過程がカウンセリングにも似ている感じがするのも職業柄ひかれる理由かもしれません。

さて、それはさておき、「八島」のお話です。能を習っている知人の師匠が、「八島」という演目が好きとのこと。

「八島」というのは源平合戦義経を扱った話です。旅をするお坊さんが、八島で義経の幽霊に会い話を聞く、という簡単にいったらそんな話です。

その「八島」の演目を好きと言いながらその師匠は、世阿弥(この「八島」の作者)はこの作品に生きるということは修羅だと書いているんですよ。生きることは修羅ですよ。とおっしゃったとのこと。

この「八島」の終盤、義経の武勇が語られます。戦いの際に、持っていた弓が流されて沖のほうにいこうとするのを、義経がわざわざ敵の船の近くまで行ってとったという話です。「そんなことをしたら、殺されるのだから無茶はやめてください」と家臣は言うのですが、義経は自分の武名はまだまだで、弓を敵にとられようなどしたら無念だ、そんなことになってたまるかと取りに行ったと。それで殺されるならそれまでの運と。それで家臣は感動して泣く、という話が語られます。

ここで終わったら、義経のただの武勇伝ですなーということですが、「八島」は続きます。

義経の亡霊が修羅の世界でかつての敵と戦います。壇ノ浦の戦いが、またこの世にあらわれて、義経が必死の戦いを戦うのです。しかし、そのうち春の夜は明けていき、敵と見えていたのはカモメの群れ、鬨(とき)の声と聞こえていたのは海の風、朝の嵐となった、と終わり、義経の亡霊は舞い終わると消えていくのです。

その師匠は、この最後の場面が好きですねともおっしゃったということ。

武名を固持し、人に称賛されながらも(それだからこそ?)、生きることは修羅なのでしょう。義経の怨念が死しても残るほどの修羅。

しかしそれも幻。その夜の幻も日の出とともに消えてゆき、残るは八島の美しい風景。

 

知人からその話を聞いて読んでみた「八島」ですが、私も好きになりました。人生辛い時もありますが、義経の怨念が消えるように、肩の荷が下りる時が来るのでしょう。世阿弥は何歳ぐらいのときに書いたんでしょうかね。

一度、実際の「八島」の能も見たいものです。「八島」の最後の部分だけ抜粋します。

陸には波の盾

月に白むは

剣の光

潮に映るは

兜の星の影

水や空、空行くもまた雲の波の、撃ち合ひ刺し違ちごふる、船戦の駆け引き、浮き沈むとせしほどに、春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは群れ居る鷗(かもめ)、鬨(とき)の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける

それから、屋島香川県)、実際いったことがありますが、きれいでしたよ。物語を読んでから行くとなおのことしみじみするでしょう。

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ただこの一撃にかける

昔のNHKの番組を見ていたら、2003年に放送された「ただこの一撃にかける」という、”にんげんドキュメント”というシリーズの一作品を目にしました。

タイトルもかっこよいですし、何か一途な雰囲気にひかれて見てみました。日々の生活が、霧の中で進んでいくようで、一心に打ち込むというクリアなものを気持ちが求めていたということもあったと思います。

栄花さんという素晴らしい剣士のドキュメントで、北海道の方ということで、これもまた北海道出身の私にとっては何かうれしい感じでした。

かつて日本で優勝を逃し、その後優勝し、世界大会の団体戦で大将として勝利するという過程を描いた作品です。この中で何に悩み、模索し、今どう考えているかということが紹介されていきました。最後の団体戦では、10分の延長戦で、無心の突きが決まって勝利するのですが、そこにこれまでの人生が凝縮されているようで感動しました。

印象に残った言葉を書き留めたのでご紹介します。

ただ勝負、勝ち負けにこだわっている。そこに無心の技というか求めているところは出ないと思うんですね。

やっぱり何か変な欲があったりする。それを克服するために違う面で鍛えるというか、心の問題ですかね。

相手に勝つことも必要なんですけど、最後はどれだけ自分に勝てるかというところになってくると思うので。

自分に勝つということは、苦しさ、厳しさ、つらさから逃げないということで。

正しいことをするというのはすごく厳しくて難しいことなんですよね。

それを自分でやってみて、子供たちはどう感じるかわからないですけど、伝えていきたいというのは強いですね。

人に認められたい、人より優れていたいというのは自然な欲求ではあると思います。そうして、比べてみて自分が劣っていると感じると、落ち込んでしまう。特に今はSNSなどで、常にいろいろなものとの比較ができてしまう。それが現実であろうと虚構であろうと。

しかし、大切なことは相手に勝つことではない、負けたことでもない、自分がここでどうありたいか、どうすることが正しいか、それから目をそらさない厳しさ、勇気、努力が大切なのではないかと栄花さんはおっしゃっているように思いました。

暇な時間があるとついつい携帯で文字や映像を眺めては、自分の考えがどこかに行ってしまいますが、たまには現代の刺激から離れて、自分が何を大切にしたいか、どうありたいか考える時間をもつのも大事だなと思いました。

自分がどうありたいかというのもなかなかわからないことかもしれませんが、私も時々自分を見つめてみましょう。何か見つかるかな。思い出すかな。

 

本の紹介「ACTメンタルエクササイズ」

1か月ぶりの更新になってしまいました。今回も本をご紹介します。「ACTメンタルエクササイズ」武藤崇著です。

 

人は悩む時には、”言葉”で悩みます。〇〇したらどうしよう、〇〇してしまった、私は〇〇だ・・・などなど。ACTという心理療法は、この言葉と気持ちのつながりにはまり込んでいる状態を、いったん横において、自分にとって価値がある人生を手助けする心理療法です。

ACT(アクト)という言葉は、Acceptance(受容) Comittment(献身) Therapy(治療)の略です。自分の言葉がどのような気持ちを起こしているのかを、距離を置きながら観察しつつ、そのままに流していく(受容)と自分が価値があると思うことに向けて行動していく(価値への献身)という意味です。略語のACTはそのままの意味では”行動”するということですが、略語のとおり行動・体験することに重点を置いています。

マインドフルネスとも多くが共通しますが、ACTの特徴は、自分が何を人生の価値とするかをしっかり考えさせる点です。あと24時間しか生きられないとしたら何をしますか?・・・のようなワークが色々あります。

著者の武藤崇先生は日本でACTを広めた第一人者です。この方の本はいろいろあって、私も専門書でちょっと読んだのですが、今回の「ACTメンタルエクササイズ」はその中でも一番わかりやすくて、コンパクトで、これだけでもずいぶんいいのじゃないかと思える本でした。(あとの本は結構分厚いんです・・・)

世の中にはいろいろな心理療法があって、私自身は認知行動療法という心理療法を中心に学んでいますが、どの心理療法にも共通するところは、自分の気持ち、考えを観察するというところだと思います。流派によっては体の感覚を重視するものもありますが、これもやはり気持ちに通じるような”自分の観察”だと思います。

自分が何を考えてどんな気持ちになっているのか、体の感覚はどんな感じになっているのか、を観察して書いてみたり、自分は今こういうことを考えていると口に出してみる(心の中でも)。そうすると、その間はマインドフルネスのように、気持ちや考えと自分が一体にならずに、時間を過ごしていることになります。その時間はごく短い時間かもしれませんが、それを徐々に頻繁に長くしていくことが治療の最初の肝のように思います。

若干横道にそれましたが、この本はイラストも優しくて読みやすくてお勧めです!

 

 

本の紹介: 夢を見る時 脳は ー 睡眠と夢の謎に迫る科学 (専門家向けかな?)

「夢を見る時 脳は ー 睡眠と夢の謎に迫る科学」という本を紹介します。著者のお二人は睡眠を専門にしているモントリオール大学とハーバード大学の教授です。

なぜ人間は夢を見るのか?という疑問に対して、今わかっている最新の知識を解説してくれます。本書の面白いところは、睡眠と夢の研究の歴史について紹介してくれているところです。

夢といえば、夢分析を書いたフロイトが有名ですが、夢が願望を反映することはそれ以前から研究者が指摘していたそうです。フロイトが夢に現れるものを性的な象徴と考えたことも、フロイトより40年前にシュルナーという研究者が記述していたということも書かれてあります。研究という一見科学的なものも、プロモーションによっていかに影響されるか、とても面白かったです。

研究方法や発見の歴史も非常に興味深かったです。寝ている間にオーデコロンを嗅がせたり、熱した鉄片を近づけて、どんな夢を見るかという古い研究の紹介や、とにかくいろいろな人の夢の内容を分析した研究など、研究者の色々な工夫がクリエィティブでした。明晰夢(夢の中で自分が夢を見ていることがわかる夢)、テレパシーの話などちょっとそれこそ”夢”のある話もありました。

夢の研究の中で大きな転換点はREM睡眠とNon-REM睡眠の発見と思います。睡眠には段階があること、それぞれの機能がどうやら違いそうだということ。これまで私の知識ではREM睡眠時に夢をみると記憶していましたが、この本によると、どうやらNon-REM睡眠の時にも夢を見ているということなのです。しかし、REM睡眠時に見る夢と内容が異なるとか。本書ではそれと関連させながら、学習や問題解決にかかわる夢の役割が後半では紹介されていきます。夢を創造的に生かすにはどうするか、なんていうことをしている方々も紹介されます。

精神科の臨床に特にかかわりがあるのは、「悪夢」です。PTSD心的外傷後ストレス障害)では反復する「悪夢」を認めることがしばしばありますが、それとは関係なくとも「悪夢」の治療についても紹介されていました。医者として〇〇障害の治療などは勉強してきましたが、症状としての「悪夢」への治療というのもあるのだとわかり勉強になりました。この分野の治療についてもさらに身に着けていきたいと思っています。

なにせもりだくさんで分厚い本です。後半はちょっと同じようなことの反復に思えてしまいましたが、大変面白い本でした。夢に興味のある方にはとてもお勧めです。

本の紹介: 「カモフラージュ 自閉症女性の知られざる生活」

最近、珍しくいろいろ本を読んでいます。またブログでも紹介していこうと思いますが、今回は「カモフラージュ 自閉症女性の知られざる生活」サラ・バーギエラ 著、田宮裕子、田宮聡 訳をご紹介します。

 

田宮聡先生は、以前「カプラン臨床精神医学テキスト」という分厚い本の翻訳でご一緒した先生です。そもそも、それ以前に私が研修医の頃に児童精神科医として病院に非常勤でいらっしゃっていて色々教えて下さった先生です。アメリカで精神科医としての研修を受けて、精神分析で最も有名な病院で勉強されてこられた方で、スーパードクターですね。

さて、本に戻りますが、まず、薄くて、非常に絵がきれいです。絵本といってもよいぐらいの本です。しかし、内容は勉強になります。自閉症とは書かれていますが、自閉症スペクトラム、他の言い方であれば、アスペルガー症候群、広汎性発達障害高機能自閉症についての本と思っていただいたらよいと思います。この性差についてわかりやすく書かれてあります。

私自身も不勉強で、これまで自閉症スペクトラムと言えば、特に性差も考えずに臨床をしていました。しかし、女性と男性で、症状の現れ方や、現れやすさが違うというのがこの本のメッセージです。最初に自閉症の歴史にも少し触れられているので参考になると思います。

自閉症スペクトラムと診断された方、ご家族、臨床家にも非常におすすめです。とっても読みやすくて、何より美しい本です。